2012年01月17日

「みる」と読む漢字はいくつある?

「みる」と読む漢字はいくつあるのか?ご存知だろうか。

その昔、といっても十代の頃、父の書斎で白川静を手始めに漢和辞典を片っ端から引きあさったことがある。
診、観、覧、視、見、瞰、督、看、監……。50弱ほど見つけたような気がする。
見るということが難しく、眼では見ているが頭で見る…と気がついたからだ。しかしこんなにあったので、全身全霊で見るのか…、見る対象との対話や行動まで…と興奮したような…(笑)。
瞰は俯瞰の一文字だが、もう1人の自分がいるのでは、と気がつく。身体から離れたもう一人の自分が上空を飛び回り、冷静に語りかけてくるのである。それに気づいただけでも驚きだった。
いまだにこのことを考えるのは、眼の使い方の再確認というか、頭で見ること、いや身体で見ることのトレーニング、人との関わりの為、鈍くならないよう鍛えるためである。

シャッターを切る者として、常々、感じることは「見る」ことの難しさだ。

見たいものだけを見てもしょうがない。見たくないと分かりつつ見ないのはもっとしょうがない。たとえ怖くても行動しないと答えが出せないはずである。
己がそこにいて表現するには、全てを見て可能な限り把握し、何に心動かされ、言葉に置き換え、作品の中に訴えるメッセージを入れる。
で…なければ、誰が撮っても同じといっても過言ではない、のでは…。
バラバラに好きな部分だけで組み立てるような、矛盾した理屈でシャッターを切っても何の意味く敗北である。

空間を把握し一瞬を切り取ることの難しさ、目の前に広がる空間を支配する難しさというか…。

全てを見透かしながら、心を無にしてシャッターを切る。
心を無にして見ながら、見透かすようにシャッターを切る。
「決定的瞬間」二度とやってこない運命の出会い。

頭と指先を直結させるのである。

空間はバーチャルなものでなく、刻一刻と時が流れる現実の世界。生きている故に、己の可能性にトライする。

RIMG071412.jpg
Photo≫ベリワイド100 SUPER ANGULON 47o。相棒の超広角レンズ中型カメラ。偉そうなことを書きながら何だこの写真は!…と聞こえてくるが、酔っ払って撮っております…と言い訳。

クリエイティブな世界、特に写真では、初心者の方々に望遠レンズやマクロレンズが好きな方が多い。ある種、簡単に写真が撮れるからなのだ。
見たいものだけを見て、周りの関係性を切り落とすことで楽に画面が構成できる。
中学の頃の我輩がそうだったのだ。

しかしながら、飽きていくというか…鍛えれば鍛えるほど、視野が広がり愛用のレンズが広角レンズに代わっていった。
高校の写真班では28oレンズ(広角)が自分の標準レンズとなり、大学では20oレンズ(超広角)が標準となった。
長玉は飛び道具のようで、広角は刀を使うというか、難しさや自己鍛錬として面白く、尊敬する写真家たちが使う広角レンズの味が分かりはじめるのだ。表現の世界も広がった。

今では度を越して、超広角レンズが相棒になってしまったが…。

こいつは言うことを聞かない。構え方が悪いと垂直が狂い、歪む。被写体に突っ込んで行かなければならない。
いやというほどの視野があるため、一瞬にして多くを把握しなければならない。必要がないものまで入ったとしても、一枚の中のストーリーに使い切るほどのセンスがいる。

シャッターを切る者が成長することを前提としているのである。

女性に振り回されるような感じて、火傷をする…レンズなのである。いい男にならないと付き合ってあげない…と言われているような…。
気難しく、気分屋で、生真面目で、美しく、瞳のような深い闇を持つレンズの佇まいなのだが、実は懐が深く、艶っぽい光と色を持ち、無限の可能性がある…。

真剣にしつこく付き合う。すると、愛らしく可愛いレンズと気づく。心を開き手に馴染んでいく。
難しい世界、丁々発止、面白いのだ。

見るということは、己を見ること。何をしたいのか、何をメッセージとして訴えたいのか、今生きている証なのである。
と書きつつ、果たして我輩は成長しているのか…味わい深く熟成しているのか…。

今夜もワインが旨い。…朝だ。

安藤州平Webアトリエ




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posted by 州庵 at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記