2006年10月31日

真夜中のセッション

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Photo≫カメラを向けると…ポーズをとらねば気がすまない

28日から29日、公私ともに長いお付き合いの知人、閑月氏が呑みに来た。

6、7年前、ある文化施設計画のプロジェクトで知り合い、千葉県某所でのプレゼン、会議の後、東京駅地下のアメポテでギネス一杯やりながら、2人で打ち上げをしたのが親しくなった切っ掛けだった。ほんの小1時間の語らいだったが、仕事の話以外の山村の古民家での暮らし、陶磁器や陶芸、著書の話や雑誌の連載とその取材裏話、音楽、特にJazz、Webなど趣味のジャンルで盛り上がり、気がつけば7年ほどのお付き合いである。

我がWeb開設も、閑月氏のお誘いがあったからなのだ。トップページの「真田創造工房」のリンク用バナーは氏の作品である。
Web開設は我輩も考えていたのだが、何せこの性格、どっぷりと嵌ってしまい大変なことになるだろうと距離を置いていたのだ。我がWebのコンセプトは、「私なりの総合雑誌、電子瓦版」で、森羅万象、コンテンツは無限と思っていた。
当時、閑月氏のHPを覗くと、富士山、陶芸、Jazz、写真、家族、海岸寺などなど、実に充実した内容で、我輩の目指すものに近かった。コンサルタントとして全国を飛び回る忙しい彼に、何時、サイトを作り管理する時間があるのだろうと感心したのだ。 閑月窯工房
すばらしい「趣味人」だった。

我輩自身、「生き方=仕事」と構え歩んでいるので、仕事だけの付き合いというよりは、公氏共々という仲間の方が多い。よく「趣味=仕事」で羨ましいといわれるが、いやいや…そんな簡単に趣味を仕事にできない。精神的に自らを磨き、より文化的な暮らしに身を置くなど常に鍛えていないとダメなのである。

この点、閑月氏とは共通項が多い。趣味が広く、音楽を愛し、酒を好み、料理を楽しみ、語らいのひと時を大切にするのである。
両親の世代が近く、兄弟の構成と青春時代がほぼ同じで、大自然の中で育ったせいか…。
氏を尊敬できるところは「人生10年計画」で、故郷、八ヶ岳の裾野の清里を復興しようとする様々な活動だ。
彼の実家に陶芸窯を築いたセミプロ級の「陶芸活動」や、育った地域の海岸寺の「寺起こし」、また、休耕田が多かった「棚田復興活動」など、定年の20年前から着々と進めている。

今回の酒宴は、数年前からお互いの本拠地で「一杯」やろうと誓っていたもの。我がアトリエのワークショップ&酒宴(インドカリーや寒鰤など)にもお誘いしたがお忙しく、ようやく酒宴となった。
閑月氏が持参したJazzのお気に入りのレコードを、真空管アンプとJBLスピーカーの組合せの我がシステムで鳴らし、話に花が咲いたのはいうまでもない。
一夜限りのジャズ・バーと化した我がアトリエが閉店したのは、夜中の3時だった。

前日の28日、長野市のフリーライター北沢房子女史(我輩の知人である閑月氏と我がWebでいつの間にか友達になり、偶然、氏の姉上夫婦が長野で美容室を営んでいると判明。彼女はコメンテーターとしてTVに出演するとき和服なのだが、以来、専属のヘアメイク担当となったそうな…)が、氏を真田町の長谷寺を巡った後、我がアトリエに道案内してくれた。到着するやいなや、車から八ヶ岳での収穫が出てくる出てくる。自慢の米、野菜などを車いっぱいに積んでの参上だった。

翌日は、池波正太郎ファンの閑月氏のリクエストを聞きながら、真田町の真田本城、上田市にある大輪寺へ真田昌幸の正室・寒松院の墓、骨董屋・光雅堂を巡り、昼飯に蕎麦屋・東都庵(刀屋は日曜定休なので…)へ。その後、上田城を歩き、上田市立博物館を覗き、2時頃、散会となった。

次回はワインをもって我輩が八ヶ岳に参りますので、ど〜ぞ、宜しく。

安藤州平Webアトリエ




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