2007年02月26日

上田市をとんかつの街にした老舗「とん亭」が昨年末から真田町で復活!

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Photo≫ボリュームたっぷりの「ロースかつランチ 600円」。ご飯のお代わりOK

昨年末、懐かしい名前のとんかつ屋が真田町にできた。場所は国道144号線を上田市から菅平方面に上り、旧市境の神川の川久保橋を渡り、3つ目の本原という信号から約750mの右側。何故か恐竜のハリボテ(高さ3メートルほどの大きさ)のロードサインがあり、2軒のプレハブテナントの左奥なのですぐ分かると思う。

上田市、小県郡、東御市などの地域には、とんかつ屋が多く激戦区。実際、地元マスコミ業界では「上田市は人口に対してとんかつ屋が1番多い」と有名だ。
何故か。写真の"とん亭"が昭和40年頃、原町に開業し成功。東京で修行したご主人はなかなかのカリスマで、「全日本とんかつ連盟」の大会を長野で開催するほどだった。当時、地域特有の食文化が無かった上田に、ボリュームたっぷりの、そして、一寸お洒落な東京風とんかつブームを引き起こしたのだ。

私の記憶では、とん亭は1970年代後半、柳橋に"仏蘭西亭"を出店。原町の本店を仏蘭西亭に統合、一時期、塩田と国分寺に店を出すなど拡大した。が、昨年秋、事業を整理、同時に仏蘭西亭は"こぶたや"に屋号変更し再出発した。

とん亭の出現は上田に"とんかつ文化"を育んだ。それまで"カツ丼"をメインに勝負していた本町の"まんぷく"も、とんかつ専門店として対抗。以降、それぞれの店で弟子を輩出、暖簾分けし、上田市周辺にとんかつ屋が増えていくのである。

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Photo≫何気ない外観で小さな店なので見逃すかもしれない。

フライヤーを使わず、鍋で丁寧にとんかつを揚げているご主人に聞くと「縁もゆかりもない真田の町で、鍋一つで原点から再出発」…とのこと。
50年ほど前、東京から移住した我が家族が、とん亭の誕生でようやく東京風のとんかつが味わえると喜び、今でも"こぶたや"に通っているよ―と話をすると、40年ほどのとん亭の歩みというか、ご主人の"太腕繁盛記"で話が盛り上がる。

話が一段落した頃、絶品の"ロースかつ"が出てきた。

安藤州平Webアトリエ


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posted by 州庵 at 03:49| Comment(6) | TrackBack(0) | グルメ・その他
この記事へのコメント
とん亭ですがオヤジさんの体調不良で閉店となっています。再開の様子もありません。
Posted by 州庵 at 2008年01月06日 19:30
初めまして、安藤さま。私、安藤様より5歳上の者で1970年代後半の頃を上田で学生時代を過ごしました。人生のとても素敵な季を信州・上田からいただき忘れられない心の癒しとなっております。もう30数年経ってしまいましたが。とん亭はおいしかったですね、友達もバイトしてましたし、懐かしくて今まで何度か検索してみましたが。きょうはじめて安藤さまの記事にヒットしました。仏蘭西亭は確か、開店した年にバイト先のマスターがステーキをごちそうして下さりあんな立派なのは初めていただきました。そのほかにも当時好きだった人と食事に行ったりもありましたね。彼女はもちろん上田の美女ですよ。元気でいてくださるといいですが。
ブログこれから読ませていただきますね。
上田市はよくテレビドラマや映画にも出演していてすごくうれしく思っています。
ベンガルはよく知ってます、カレーは大好きですし機会があればぜひもう一度訪れてみたいですよ。でもごめんなさい、NEXTさんはよく覚えていないのです、上田の珈琲店はあちらこちら行っていたはずなのですが不勉強で申し訳ないです。まんぷくの息子さんもよく知ってます。かつ丼おいしかったなぁ、そうですか、とんかつ専門店にね。でも上田周辺にとんかつのお店がそんなにできているとは、楽しみですね。とん亭さん、廃業なさっているのですね、とても残念ですが、御主人が一時代を築かれたのですからとても立派なことです。どんなお店、企業でも興して成功に導くのは本当に大変です。たしかご主人はさかぐちさんとおっしゃいませんでしたでしょうか?
あのころサービスランチか弁当か、そんな名前で400円ぐらいのがあったのですがおいしかった。貧乏学生ですからすごくうれしくてね。
本当に信州に行ける時が来ればすごく幸せだと思います。ぜひ真田町と菅平には行っておきたいですよ。菅平のあるホテルにバイト先のマスターと豆を卸にいったとき、6月初旬でしたか、カウンターで贅沢な淹れ方の珈琲をいただきながら「もう冷房をいれてらっしゃるのですか」とおききしたら「ええ、はいってますよ、高原全体にね」と微笑みながらおっしゃったのがすごく印象に残ってます。もう笑い話ですよね。なんというホテルだったのか、覚えてはおりませんが。軽井沢のすごく素敵な瀟洒なレストランではドアを閉められて門前払いをされちゃいましたし、当時の学生ってそんなに場所違いだったかな。軽井沢のとても上品な地域だったように思いますが。
Posted by 広瀬 at 2012年02月13日 17:57
広瀬さま コメントを有難うございます。
学生時代の信州上田の思い出、伝わってきました。
16年前、帰ってきましたが、ずいぶん変わっていて驚きました。残っている老舗の飲食店と上田城、古民家が少なくなりましたが北国街道の町並み、千曲川と上田盆地を囲む山の稜線が変わっていなかったことにホッとしました。
まだまだ記憶を辿る散歩は続いております…笑。
信州にこられた時は、是非、ご連絡ください。ご案内できればと思っております。
Posted by 州庵 at 2012年02月13日 23:36
安藤さま、広瀬です。先日は長文のコメントを残してしまい失礼いたしました。
 またお忙しい中、ご返事をいただきありがとう存じます。
 一昨日でしたか、菅平が本州の最低気温になったとか、−28度でしたか。大丈夫でしたでしょうか?
たしか昨年にもそのような気温が記録されていたように思っていますが、地形的に厳しい気候になっているのですね?
どうぞ取材など気を急く場面でもお車にはお気をつけられて頑張ってください。
 あの、また折々にメールをさせていただいてもよろしゅうございますでしょうか?
 いえ、まだまだ少ししかブログは読み込んではおりませんので、お書きになっていることをお聞きしたりしないようにいたしたいとは思っておりますが、ご容赦を賜ればとも思っています。 上田のこととか、また自分というものをきっちりお持ちになって歩んでいらっしゃる方としてお訊きしたいことなどもあって、なんといっても、すぐれたお師匠様に出会われてしかもお二人も、また機会を大切になさって進まれた安藤さまは素晴らしいと思っています。お勤めを辞められて自分の腕と感性で分野を広げ開拓なさっていく、しかもちゃんと生活費を稼いでいくのは本当に立派なことです。
ありがとう存じます、そのような方の言葉にまみえて、また出会をくれたネットの素晴らしさにも感謝ですね。
 ではまた、安藤さま、お元気で。
Posted by 広瀬 at 2012年02月22日 13:23
広瀬さま、いらっしゃいませ。
先週末の18日未明、全国ニュースでも紹介されましたが、菅平で−29.2℃を記録しました。僕の記憶が確かなら十年ほど前に−27℃台があり、この大日向では−22℃だったと覚えております。なので先日の最低気温記録更新日は、このアトリエがある集落では−24℃ほど…。寒さを通り越しています(笑)。
今日は春先の雨が朝から雪を溶かしており、気温の激変に翻弄されながらも、確実に春が近づいています。
この時代、自ら歩み方を通すのは実に難しい(苦笑い)です。が、ぶれそうでぶれないように生きて行きたいものです。更新が以前ほど進んでいませんが、ブログやホームページを一読していただければ、時代錯誤な男とお分かりかと存じます(笑)。
ただ、ネットの時代になり、リアルにおいて"世代断絶"がそこここで見られるような気もします。なので、その昔、隣近所にいた"頑固だけれど面白いおじさん"として、"新しいものは先人の積み重ねの上にある"と、少しでも伝えていければと思っております。
広瀬さまからも、いろいろご意見をいただきたく存じます。コメント、メールどんどんお寄せ下さい。これも何かのご縁、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
Posted by 州庵 at 2012年02月23日 13:31
安藤様、ご無沙汰してます、廣瀬ですが「fb」にてメッセージを入れさせていただきました。どうぞよろしくお願いします。
Posted by 広瀬 at 2013年04月07日 15:29
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