2007年08月27日

忘却の現代世界遺産・長野冬季オリンピック「セントラル・スクエア」

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Photo≫駐車場と化した長野冬期オリンピック授賞式会場の「セントラル・スクエア」

まとわりつく熱気、残暑が厳しい中、長野駅から善光寺表参道を歩き、某打ち合わせであるビルに向う。ふと道路の向こう側を見る。
すると、駐車場に止められた車にまぎれながらオリンピックのマークが小さく見える。

おぉ!忘却の現代世界遺産!

1998年長野冬季オリンピックの表彰式などで見覚えのあろうセントラル・スクエアである。現在、有料駐車場と成り下がり、その昔は土日にイベント会場としても利用されていたが、最近は殆ど利用されていない。
焔をともしていたミニ聖火台は既に忘却の彼方だ。

「善光寺周辺を世界遺産に登録しよう」という市民運動があるらしい。しかし、善光寺表参道の中間点にある世界的記念施設が、たかだか9年でこの有様では、あまりにも「…」であり、市民運動の精神的レベルは大丈夫かと頭を傾げたくなる。

そういえば、数日前にこんな記事。

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Photo≫2007年8月24日の信濃毎日新聞朝刊17面東北信面の『長野駅前東口・五輪10周年タワー・建設へ実行委員会発足』を知らせる記事

長野市や長野駅東口商店街協同組合など約20団体が、「長野駅東口前にオリンピックの記念物が無いのはおかしい」と、高さ5mのメモリアルタワーを建設するという動きだ。デザインと予算、場所を協議し、決まったらしい。

なんとも不思議な気分になる。

駐車場と化したセントラル・スクエアのドタバタ的9年の運命も、長野市や長野の中央商店街、商工組合などが「何とか残さねば…」という騒ぎの末、サジを投げ、ほったらかしだったはず。

長野市は善光寺の門前町であって、オリンピック開催都市というイメージが弱いのか?、「五輪塔」か「五輪記念タワー」だか知らないが、長野駅東口前に建てるのなら、セントラル・スクエアも何とかならないのか。駅の何処の出口という"局所的なものの見方"をせずに…、気合を入れて欲しい。

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2007年08月26日

秋の気配

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Photo≫残暑厳しき本日、我がアトリエの背景には鱗雲

今年は例年以上に厳しい残暑である。

我がアトリエの周辺を散策し、ふと視線を上げると、アカトンボが空を泳ぎ、木陰から虫たちが奏でる四重奏が心地よく聞こえてくる。
鱗雲が笑う谷には、夕焼けの紅が深く映え、なんともいえない情景となった。
そして、月が美しい夜である。

静かに、確実に秋へと季節は歩んでいる。

ガサゴソと窓の外から聞こえる。
が、まさか、熊ではあるまいか。

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2007年08月25日

JT上田工場跡地再開発のメインアプローチになる「上田駅前天神町商店街」の電線地中化お披露目イベント

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Photo≫上田駅前天神町商店街の電線地中化、石畳とカラー舗装整備が竣工した

その昔、映画館があった天神町商店街。今では飲食店、ビジネスホテルがメインで、物販店が減りつつあるが、立地上、頑張らざるを得ない…、いや、本当に頑張っている商店街である。

この天神町商店街の長年の懸案であった電線地中化、石畳とカラー舗装整備の話は、新生上田市の合併前からのもので、地元商店主たちの顔色も「安堵」というよりは、「やれやれ」と見えてしまうのは私だけだろうか…。

さて、「お披露目イベント」の方は、40〜30代のファミリーの人出が多く、商店街のイベントとしては商店主や振興組合会員のおもてなし精神、手作り感たっぷりの良い雰囲気だった。
以前、私の企画で情報月刊誌KURAにルポしていた北国街道の古きよき佇まいを残す「柳町」の夏祭りをジャジィーな大人の祭りとすると、こちらは八幡屋人形センターがあるせいか、子供たちを主人公にファミリーが思い存分楽しめる祭りだ。

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Photo≫西丘保育園児たちのパラバルーン演舞。オープニングには鼓笛隊としても参加した

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Photo≫八幡屋人形センター前の人出

上田市内の商店街は、私が顧問としてお手伝いしている松尾町商店街の「職人フェア」や上田真田祭りでの「流し蕎麦大会」など、それぞれ個性を生かしたイベントを開催している。が、「流し蕎麦大会」などは直ぐに隣の商店街が「素麺」に変えてパクってしまうなど、祭りに対する企画力が落ちている。たとえ企画力が落ちようが、おもてなし精神が豊かなら、天神町のように地元の若いファミリーが集まるのである。

ところで、先週の21日(月)から今月末31日(金)まで、「JT上田工場跡地の用途変更素案」と「地区計画素案」を上田市役所と丸子、真田、武石の各地域自治センターで公開し、市民の意見書を募集している。
21日、早速、真田地域自治センターへ見に行ってきた。

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Photo≫2007年8月21日の信濃毎日新聞朝刊17面東北信面の『JT上田工場跡地の用途変更素案 市民の意見書募集』を知らせる記事

旧真田町の市民には関心がないのか、閲覧者は今のところ私一人。その後、24日に松尾町商店街振興組合のある理事と一緒に上田市役所へ見に行ったが、こちらの閲覧者の殆どは東京のコンサルで、市民は五本の指を使わない程度の人数だ。インターネットで公開しているので、そちらを見る方が多いのか、少なすぎる。JT上田工場跡地再開発の反対グループなど、大勢が見に来ていると思ったのだが…。
役所に足を運べば詳細な書類を見ることが出来、それなりの質疑ができるのである。
実際、24日に上田市役所へ閲覧に行ったときには、JT上田工場跡地再開発とかかわる周辺及び市街地道路整備などについて松尾町商店街の理事と共に質問し、都市計画課のスタッフが我々に答えてくれたのだ。

JT上田工場跡地再開発の商業ゾーンに計画されているセブンアンドアイの巨大量販店アリオのプランは何処まで進んでいるのか。現在、必死になって全国展開のブランドのテナントの集めているはずだが、意外と集まりが悪いのでは…。その苦肉の策として地元出店枠を設けるなどという荒療治をすることも理論的には考えられる。

何故、このような考え方をするのかといえば、前述したJT上田工場跡地再開発とかかわる周辺及び市街地道路整備計画を見たからである。千曲川の護岸道路の拡幅化はやっても、東と西の末端において国道18号線上田バイパスと直接つなげない(バイパス効果が下がるため)という。また、しなの鉄道(旧JR信越本線)を南北に渡るアプローチは踏み切りのある地上道路のみ。アンダーパスは考えられないという。

私の感想としては実にトホホ。もし、私がセブンアンドアイ側のコンサルとしてプランを立てる立場だったら、激怒するようなアクセスの悪い道路整備であり、当然ながら、テナント出店企業から見ても、不安を多く感じてしまう魅力の無い周辺インフラ整備計画なのである。しかも、道路整備はアリオ開業後、同じJT上田工場跡地に整備する新しい上田警察署や市民会館が竣工する頃になるであろうというから…、絶句。
果たしてJT上田工場跡地再開発は成功するのだろうか?!

話は変わるが24日(金)に松尾町の老舗靴屋が「完全閉店セール」のチラシを出しセールを始めた。靴屋さんと仲のいい松尾町の商店主たちには『激震のニュース』だった。
この店の商店主は、現在、商店街振興組合の役員ではないが、発言力があり、確か別の団体の立場でJT上田工場跡地再開発の反対グループに参加していたはずである。海野町や駅前のイトーヨウカドウにテナントショップなど数店持っていたが、数年前から店舗整理の経営方針を挙げていた。
まさか倒産ではあるまい…。

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2007年08月23日

アトリエから30mに熊の捕獲檻設置される

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Photo≫昨日、設置された熊の捕獲檻。道路の前方右の古民家が我がアトリエで、直線距離で30mだろうか…

ご覧の通り、熊の捕獲檻が設置された。昨日のことだ。

実は20日(月)の夜、22時30分頃、南側の隣人が、獣が歩くような気配を感じ、電器柵を設置したトウモロコシ畑を、ご夫婦で見回りに行ったという(奥様への直接取材)。
トウモロコシ畑は道路脇の土手の上。電器柵は熊が現れやすい山側の3辺に設置、土手側は道路にも接し急な勾配の土手なので設置していなかった。
その時、ご主人は何も見ずに畑の奥まで歩いていったが、後ろからついていった奥様が畑に隠れていた熊と遭遇。熊が吠えたと同時に、奥様は叫びながらとっさに土手を下り難を逃れた。
その間、熊は山の森の方へ逃げていったという。運が良かったというか…不幸中の幸い。翌朝、有線(旧真田町内の電話)で自治センターへ通報したようだ。

我がホームページのBBS"オープン・ギャラリー"に、21日、呑み仲間のよたまえ君より、我がアトリエ直下の「丸山橋50m付近で熊目撃情報」と、旧真田町の有線放送で『熊警戒情報』が出た…との書き込みがあったが、それが、この話だ。

たまたま日記2007年7月2日を見てもお分かりと思うが、毎年、熊が出没している我がアトリエの周辺。この地に住んで10年になるが、今のところ、住民に被害は出ていない。

しかし、この檻で本当に熊が捕獲できるのだろうか?

ところで『熊警戒情報』は上田市の真田自治センターが出し、農林課が熊の対策を行っている。そして、緊急情報は全て有線放送を使い知らせている。有線放送は数十年前、農家の自然災害情報を提供するために構築された。
当然ながら農業でない我がアトリエには有線端末がない。また、私のような移住者や新興住宅団地の新しい住民はかなりの人口なのだが、その殆どは有線端末を持っていない。
その昔、旧真田町の『防災基本計画』のマニュアルを見る機会があったが、地震災害などの情報も有線放送を使った緊急連絡体制を構築している。ある議員を通して、有線普及率が下がりつつあることを前提に『防災無線』切り替えていくべきと訴えたが、どうにもならなかった。

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2007年08月12日

ペルセウス座流星群出現のピーク、前夜祭

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Photo≫ペルセウス座流星群の前夜祭で、パラパラ流れ星を確認。だが、天の川しか写ってない…

本日、未明(3時頃)、ペルセウス座流星群出現のピーク前日ということで、標高900mの我がアトリエの庭で撮影する。
データはカメラNikon D200、ISO感度は1600、レンズSIGMA10-20oD f/4-5.6 DC HSMで10o(35oフィルム換算15o)、絞りF5.6、露出30秒。

肉眼では10分間、流れ星を5個ほど確認。しかしながら、この撮影では捉えられず。
今夜がピークのようだが、出現の方角、時間帯などの詳細はペルセウス座流星群(国立天文台)を見ていただきたい。

夏の夜のひと時、天体ショーを楽しむのも悪くない。

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posted by 州庵 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月11日

長野市の北野カルチュラルセンターで見かけた「エレベーター・シルバーシート」

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Photo≫エレベーター内の『椅子』は高齢者への配慮か?荷物置きか?

先日、長野市の北野カルチュラルセンター・ブラッセリー光庵で、親しい呑み仲間が企画した『信州あの人ゆかりの菩提寺・神社』の出版記念パーティーと称する暑気払いの呑み会に出席。楽しいひと時を過ごしてきた。

呑み仲間といっても、幹事さんとその方の親友のお姉さまは人生の大先輩で、偶然にも仕事で関わりがあり、世の中の狭さを実感。

さて、会場に5分前に着いたが、エレベーター内に見つけたのがこの椅子である。
4人乗ったのだが、全員が「目が点」。

何のための椅子なのだろうか。仲間と推測したが、高齢者への配慮か?荷物置きか?結論が出る前に3階のレストランフロアーに着く。

建物は3階建て、エレベーターは8人乗り程度。8人乗りのエレベーターが如何に狭いか…、また、3階までの所要時間は10秒足らずなのは、お分かりのことと思う。お年寄りが立ち座りするのには時間が短すぎ、荷物置きにしか使えないだろう。

高齢の利用者の声に応えた対策なのだろう。

高齢化王国・長野県の高齢者への「いたわり」か、「エレベーター・シルバーシート」という新しいカタチ。

不思議なものを見てしまった。

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2007年07月29日

NHK参議院選開票特番が知らせる「自民大敗」、「民主大勝・第1党」

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Photo≫我が集落に掲げられた選挙ポスター

16時頃、仕事が一段落ついたので、参議院選へ投票に行く。
山の中の小さな集落の投票所は緊張感もなく、かといって和んでいるわけでもないが、見方によっては「これが国政選挙の投票か?」と顎をしゃくってしまう。
このような小さな投票所が、全国に何万箇所あるのだろうか。そして、大半の有権者が与党を支えていたはずである。

今回は、「田舎まわりの民主・小沢一郎」、「都市部をまわる自民・安部晋三」というイメージだった。
地方に強い自民、都市政党の民主が、ホームグラウンドを入れ替わっての戦い。前首相の小泉氏が仕掛けたイメージ転換作戦が、定着したのだろうか…。

20時の投票締め切り直後、NHKの選挙開票特番によると、長野選挙区では民主党の羽田雄一郎、自民党の吉田ひろみ両氏が当選確実とのこと。

全議席の情勢を「自民大敗」、「民主大勝・第1党」と伝える。議席数の予測は自民が35〜45、民主が55〜65とのこと。
さらに、自民党参院幹部が民主候補と激戦という。
20時10分時点で、比例代表では自民11、民主19議席と、殆どダブルスコア。

さて、安部首相はどのような責任を取るのか。
もし、40議席にもとどかず、責任を取らずに首相続投などとなれば、これはもう『無節操内閣』または『不信任無視内閣』としか言わざるを得ない。

政界再編を希望する我輩としては、内閣総辞職、衆院解散総選挙となってもらいたいが…どうなるのか?
政局となるはずだか。

実に気になる。

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2007年07月16日

平成19年 新潟県中越沖地震

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Photo≫上信越自動車道・上田菅平インター電光掲示板に、地震による交通規制・閉鎖区間の表示

ワインセラーとなりつつあるお座敷スタジオを整頓している最中、不気味な低周波というか、静かな山鳴りというものを感じ、咄嗟にスリッパごと庭に飛び出した。我がアトリエは昭和初期の古民家。震度5以上は正直怖い。
山から鳥が鳴きながら一斉に飛び立ったと思うと、グラグラッときた。

10時13分、我がアトリエがある真田町大日向で震度4程度の地震。

阪神大震災などいろいろの地震を体験したが、信州に帰ってきてから本格的な地震だった。

テレビ(NHK)で情報を確認。新潟県柏崎市、長岡市、刈羽村周辺、長野県飯綱町付近が震度6強とのこと。ここ真田では有感地震が殆どなくなったが、長野県北部から北、新潟では、余震が続いているらしい。

大阪や横須賀、アメリカからお見舞い電話が入った。我輩は無事である。

気象庁発表報道資料を見れば、今回の地震の概要が分かる。2007年7月16日10時13分ころの新潟県上中越沖の地震について(第2報)と、2007年7月16日10時13分ころ新潟県上中越沖で発生した地震についてだ。

現在、新潟県で5名死亡、新潟・長野両県で500人以上が負傷とのこと。
地震の場合、死傷者は鼠算で増えていく。TVでは生々しい被災の様子を伝えているが、どの程度までの地震災害になるのだろうか…。被災された皆さんにお見舞いを申し上げる。

尚、現在NTTの電話回線がパンク。
災害用伝言ダイヤルやウェブ掲示板を開始したので、こちらを利用して欲しい。
市外局番「025」(新潟県全域)と「026」(長野県全域)から始まる電話番号へは、不要不急の電話を極力控えるように呼びかけている。
また携帯電話のNTTドコモとソフトバンクのネットワーク施設に被害があり、不通のエリアもあるらしい。

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posted by 州庵 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ・その他

2007年07月14日

戦国武将を偲ぶ墓巡りの旅にこの一冊。『信州あの人ゆかりの菩提寺・神社』ついに発刊

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Photo≫戦国武将など信州ゆかりの歴史上の人物の墓を訪ねる「信州あの人ゆかりの菩提寺・神社」

ついに出ます「信州あの人ゆかりの菩提寺・神社」。購入はこちらから⇒信濃毎日新聞社の本 オンラインショップ

昨日、テレビ信州の情報ワイド"ゆうがたGet"に、この本の共著である北沢房子女史がコメンテーターとして出演。
番組最後のプレゼントコーナーで、「信州あの人ゆかりの菩提寺・神社」の発刊記念として、5冊を視聴者にプレゼントと放送される(というより、我輩は上田で打合せがあり、タイマーでエアチェックし、あとで確認したのだが…)。

《以下、プレスリリースより》
さて、この新しい著書『信州あの人ゆかりの菩提寺神社』(信濃毎日新聞社刊)は、昨今、中高年はもとより、戦国武将ブームの若い女性に至るまで、安らぎを求め、知的な興味とともに社寺を巡る人々に、信州を舞台にして歴史に名を残した戦国武将などの墓のある菩提寺や祭神となった神社を、住職や宮司、子孫のインタビューをもとに写真とともに紹介したルポルタージュだ。

歴史上の人物が生きた時代の信濃の状況、また、その人間像にせまる切れの良い文章は長野市在住のフリーライター・北沢房子女史。私、安藤が写真・編集・装丁を担当している。

2002年と2003年に『信州休日の社寺巡り』(信濃毎日新聞社刊 中南信編[信濃毎日新聞社の本 オンラインショップ]東北信編[信濃毎日新聞社の本 オンラインショップ])で、百数十カ所の取材から百カ所の信州の社寺を紹介し、信濃路の社寺の奥深い魅力のとりことなり、3年がかりで取材、仕上げた続編なのだ。

信州は、東日本と西日本の接点であり、太平洋と日本海の接点としての山野のただ中にあるため、古来、東山道をはじめとする街道を通り、或いは信濃川・千曲川、天竜川をさかのぼって人の往来があり、元寇にあたって幕府の副総理格であった北条義政や、南朝の征東将軍・宗良親王はじめ当地で生を終えた貴人を弔いまつるための社寺が建立され、大切にまつり継がれてきた。

江戸から明治・大正へと、文人たちが趣味としたものに、「掃苔」「展墓」があったと聞く。人が最後に行き着く墓を糸口に、その人間像や時代背景に思いを馳せ、後世の人々の信仰を肌で感じるのは、人が神としてまつられた神社でも同じことであろう。

今につながる建墓や人を神にまつる考え方は、戦国から江戸に至る信長・秀吉・家康、3人の天下人によって一大変革がもたらされたというが、本書においても戦国〜江戸初期に活躍した人物が多く、それはとりもなおさず本年の大河ドラマ「風林火山」の主要登場人物(武田信玄・諏訪御料人・諏訪頼重・真田幸隆・村上義清等、その他の人物はこちらたまたま日記2007年7月1日)と重なっており、ゆかりの地を訪ねる皆様の手引書としても使っていただけるはずだ。また、墓巡りガイドというジャンルでは信州で初だ。

という訳である。この新しい本が、皆様の「歴史散策の友」となるよう祈っている。

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posted by 州庵 at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ・その他

2007年07月07日

信州屈指のカレー屋、上田市の"ベンガル"

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Photo≫昭和39年創業のカレー屋"ベンガル"

ベンガルの前を通り、喫茶NEXTへ向う。美味しそうなカレーの香りが漂ってくる。長年通っているが、改めて店先を眺めると、開店から40年以上、実にいい味わいが付いている。
カメラに店先風景を一枚収める。

我輩のカレーデビューは、確か新宿中村屋のインドカリーだったと聞く。幼稚園に入る頃で、定かな記憶がないのだが、正月、東京に帰省したとき、一家で行ったらしい。俗に言うスパイシーな"シャバシャバのカリー"で、祖父の代から通っていたとのこと。味だけは何となく覚えている。
当然ながら、我輩を"カレー狂い"にさせる出来事で、以来、40年以上カレーを探求している。
ここを見ればお分かりかと思う。安藤州平Webアトリエ・信州カリー研究所

さて、カレーデビューした頃の昭和39年、信州上田にカレー専門店がオープンする。写真の"ベンガル"である。当時、上田には本格的な洋食レストランが少なく、特別な日などは2階を予約し、一家で会食していた。長年の付き合いなので、メニューの殆どを食べている。
いろいろとあるカリーのメニューの中で、ここ20年は、ベンガルカリーに嵌っている。
昨今のコッテリ、辛味系という分かりやすい味でなく、ホテルで修行していたオーナー(現在は上田原本店にいる)が編み出したレシピは、丁寧な仕込みで醸しだされた上品で飽きの来ない、とても奥深い味わいだ。
また、上田の味噌を生かしたメニューをいち早く作り出したのも、この店だ。お店で焼いているパンの隠し味に味噌を使い、食前にあっさりとした味噌スープを出す。メニューにある"豚の味噌焼き"も逸品である。

そういえば、池波正太郎も虜になり、通っていたことは有名だ。

当初はカレー専門店風のメニューだったが、上田原に雰囲気のあるレストランを出店、本店を新店舗に移してから、両店とも洋食メニューを充実した。ベンガル地図。ちなみに長野市にも姉妹店がある。

小ぢんまりとした店だが、開店から40年を過ぎ、当時から趣のある店内は、いい時代が付いている。いまだ女性ファンが多いのも納得できる。
コース料理もあり、なかなかリーズナブル(都内の同クラスのレストランの半額に近い)で、予算を伝えればシェフに"お任せコース"を頼める(常連だけかもしれないが)。2階の席を予約すれば、ゆっくり食事を楽しめ、デートにも良いだろう。メニューなどはこちら

たまたま日記2007年2月27日で紹介した喫茶NEXTのマスターとベンガルのオーナーが仲間で、学生の頃、NEXTでバイトしていたときにも昼食でお世話になった。

カレーが食べたくなった。明日あたりに行こう…。

安藤州平Webアトリエ


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posted by 州庵 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | グルメ・その他